さごたに通信

2016年1月10日 03:28:05 カテゴリ: 未分類

さきほど、ようやく下関の林神父様からの写真が2枚届きましたので、「受洗50周年記念イベント」(1・3)について書きます。
実は、神父様からの写真、あくる日の4日には早速送って下さっていたのですが、あて先が、私が4~5年前から既に使ってないものだったため、「発見」に手間取っていたという次第です。

正月3日の14:30、下関から新幹線でご到着の神父様を広島駅に出迎え。帰省客のリターン・ラッシュのせいか駅周辺は大渋滞、それを予期して思いっきり早めに自宅を出たのだけど、それでも15分ばかり神父様をお待たせした上、駅前駐車場に入れないために、路上で「拾わせていただく」羽目に。
15時半、広島学院に到着。昨年秋に竣工なった新聖堂は、神父様にとって初めてということで、もの珍しそうにも、感慨深げにご覧になっていました。
ほどなく、もう一人の「50年前の受洗者」である水内健二君(現・佐伯中央病院院長)が現れ、ついで、なんと林隆一郎先輩(我々よりも2年先輩)も! 先輩、私が事前にお招きしていた時には「遠慮しとく」というご返事だったのに、やはり「9期の連中が心配でお節介ぶり」を発揮されて急遽ご参加でした。
それに加えて、今回特別のお計らいで新聖堂の使用をお許し下さったRosado修道士もご列席下さり、神父様も含めて合計5名で、小さな小さな記念セレモニーは始まったのでした。

* * *

その瞬間から、場の空気は全く変わり、その場所はもはや「広島学院の新築の新聖堂」などではなくなってしまいました。50年前にタイムスリップ・・・などという生易しい表現ではとても追っつかない、まさに50年前の林尚志神学生が、そこに出現したと言っても決して過言ではありますまい。

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3日が偶々「主の公現」の主日ということで、私が前に立ってたどたどしく朗読した「マタイによる福音書第2章1-12節」に続いて、それにちなんだ説法をされたのですが、その(小さなお身体に似合わない・・・失礼!)大きな身振り手振りといい声の張りといい、50年前、まだ司祭に叙階なさる前の「林神学生」31歳ご自身がそこに、それこそ「公現」なさっておりました。

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(続く)

2016年1月8日 05:52:59 カテゴリ: 未分類

「想定内」編は、以下のように終わっています。
「神事を終えるや、休むまもなく、総代だけによる直会(なおらい=神事に伴う宴)が始まり、神棚に供えられたお神酒の一升瓶が次々と開けられて・・・あとはご想像にお任せします。(いったん終)」

その「続き」です。

まだまっ昼間というのに、すっかり出来上がってしまった氏子総代10数名、マッ赤ッ赤な顔で、もはや初詣で参詣者の応接をするわけにもいかず、14時過ぎには一旦解散、それぞれ徒歩で家路にむかったのでした。

私も当然それに倣ったのですが、なんせ我が家は神社からの標高差35m、集落でイチバン高い場所に位置していて、アルコールがたっぷり注入されたカラダで一気に登り切るのは、普段の早朝ランで鍛えているとは申せ、少々キツイのです・・・ということで、ちょうど家路の中間点にある冨田邸(戦後間もなくGHQの命令で断行された「農地改革」までは、当地伏谷郷(ふしだにごう)集落の庄屋にして大地主)に、年始のご挨拶を兼ねて立ち寄りました。

当主冨田伸吉翁も令夫人もご在宅で、マキストーブが赤々と燃える、アールデコ調の広いリヴィング・ルゥムで奥様手作りの正月料理をいただきつつ(神社での直会はお酒と、貧相なおつまみだけでした!)しばし歓談・・・主な話題は「伏谷郷集落の今後の身見通しについて、ひいては、日本の、世界の・・・」と拡がったころで、ようやくおいとましました。

冨田家当主・伸吉翁と、豪華な薪ストーブの前で

冨田家当主・伸吉翁と、豪華な薪ストーブの前で

そのまま家路へ・・・と、我が破れ草庵に到着する直前の通りすがり、隣の大上家(と言っても100m以上は離れている)から、大勢の若いざわめき声が聞こえてくるではありませんか!

思わずそれに誘われて立ち寄ってみますと、当主マコトさん、奥様を筆頭に、息子達2人とそれぞれのお嫁さん、孫5人、ひ孫1人の一族ほぼ全員(合計12人)が大集合!そこに割り込んで、しばし談笑。初対面の「マコトさんの孫(ご長男のそのまた長男で、大上牧場の頼もしい跡継ぎ四代目)のお嫁さんで、偶然に同名の『まこと』さん、そして彼女に抱っこされた赤ちゃん=マコトさんのひ孫娘」にもお目にかかれました。うっかりして写真を撮り忘れたのは、甚だ残念!
(いったん休憩)

2016年1月6日 05:52:40 カテゴリ: 未分類

元旦の一日(1)「想定内」編

みなさま、少々遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

おおまかに申しまして、大晦日にFBの方に公表しました「三ヶ日の予定」に、ほぼ沿って過ごした元日でしたが、当然ながら、番外やら付け足しやらもありました。まずは(1)としまして、その「想定内」の部分から始めます。

大晦日、予定通り2230に神社に着きますと、例によって既に何人かは集まって火を焚き始めておられました。私も、早速それに合流して、巨大でやたらに重たい灯火台(って言うのかな?ゆうに100kgはありました)2基を、3人して引っ張り出して参道に据付けて点火しました。

新年を迎える直前(午後11時頃)の大森八幡神社拝殿

新年を迎える直前(午後11時頃)の大森八幡神社拝殿

それからいよいよ社務所の窓口にお札やらお守りやら並べておりますうちに、いつの間にやら他の総代さん達は、外に出て焚き火に当たり始め、私一人が社務所に大きく開けた窓口でそれらの販売やら、参拝客のカウントやらを担うハメになりました。まあ、例によって「最も新米な総代さん」ということで、ある程度覚悟はしておりましたが…その場所の、何と寒いこと、寒いこと!
参詣者第1号は、まさに歳の改まった午前0時ジャストにいらっしゃいました。2名との知らせを受けると、カウント係りも兼ねている新米の私は「正」の字を2画だけ書き記します。

社務所前の棚にお守りやらお札やらをずらりと並べて、いよいよ初詣を出迎える準備万端

社務所前の棚にお守りやらお札やらをずらりと並べて、いよいよ初詣を出迎える準備万端

深夜の参詣者が20人ばかり続いてほぼ途絶えた午前2時過ぎ、総代一同いったん解散してそれぞれ家路へ。私は、そのあとの彌山登山に備えるべく、まず軽く腹ごしらえしてからコタツ寝…もちろんアラームを午前4時にセットして。

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なんか、ぶーぶー鳴ってるのは夢心地に聞こえたんだけど、もうちょっと寝かせてよ~アラームくん・・・と起きまどっている内に、なんと5時近く!

大慌てで、すでに万端用意してあった荷物一切を愛車に放り込んでから五日市への道を急ぐ。外気温マイナス4℃は、今季最低。

前日の雨が凍結しかかった道をオソルオソル飛ばすことわずか25分で五日市駅に到着。急いで階上の改札に駆け上がると、なんと、例年元旦には終夜運転のはずの列車が、今年は運行していない! しかも0608の始発電車が遅延!どうやら電線に霜がに付着してのことらしい。急いで広電宮島線に移動すると、こちらは始発の0558はちゃんと定刻通りという。

なんでJRの電線だけが霜に・・・などと余計なことには思索を巡らすことなく、すなおに宮島線の客となり一路広電宮島口駅へ。

車中の客は、ほとんどは宮島参拝客に違いないんだけど、特にそれらしい着飾ってるとかではなく、人数もそれほど多くない。まるで日常の通勤電車と変わらないけど、そんなわけはないですね・・・今は元旦、つまり一月一日の早朝なんですから!

終点宮島口駅で電車をとびおりて、ちょうど着眼してたフェリーにび飛び乗って、いよよ目的地宮島を目指します。

港から、思いっきり早脚で歩くこと約20分、ロープウェイ紅葉谷駅に着いたのは、すでに7時近く、日の出予定時刻まで16分と迫っていました。

かや谷駅で大きなゴンドラに乗り換えるや、まもなく南東の瀬戸内海水平線から平成28年の初日の出が!雲海の上に浮かぶご来光に、乗客全員しばしうっとり・・・同時にもちろんカメラの放列が。

平成28年(2016年)の初日の出は、瀬戸内の島々にかかる雲海から

平成28年(2016年)の初日の出は、瀬戸内の島々にかかる雲海から

獅子岩に到着すると、展望台はすでに初日の出を拝む人でいっぱい。その間を、文字通り縫うようにして、写真を撮ってもらったり撮って差し上げたり。

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10分ほどで獅子岩駅に戻ると、さあタイヘン! まさに「行きはよいよい、帰りはコワイ~♪」の童謡のごとく、なんと1時間待ちでようやく帰りのゴンドラに!紅葉谷液から船着場までは文字通りダッシュで・・・。

ロープウェイ獅子岩駅は大混雑で、くだりは1時間待ち!

ロープウェイ獅子岩駅は大混雑で、くだりは1時間待ち!

その待ち時間がそのまま「約束した大森八幡への帰還時刻の遅れ」となって、総代仲間たちから叱られること叱られること! その最中に、タイミングよく吉野綾さん妙さんご姉妹が参詣にいらっしゃってご挨拶、危うく難を・・まさに救いの女神のお二人(+綾さんの可愛いお嬢ちゃん二人で四女神?)でした!

吉野綾さん(ピアノの妙先生のお姉さま)と、その愛娘さらちゃん)

吉野綾さん(ピアノの妙先生のお姉さま)と、その愛娘さらちゃん)

ほどなく11時から神事「歳旦祭」(さいたんさい)が始まり、和装姿のせいか、私は最前席に着座させられました。

ふと後を振り向きますと、最前に陣取った氏子総代の後ろには、なんと大勢の一般参拝客の方々が! 玉串奉奠に際して、用意した50体の榊は何と3巡して使い回すほどでした。例年は、その50体でも余るのだそうですよ。

神事を終えるや、休むまもなく、総代だけによる直会(なおらい=神事に伴う宴)が始まり、神棚に供えられたお神酒の一升瓶が次々と開けられて・・・あとはご想像にお任せします。

2015年12月28日 06:20:58 カテゴリ: 未分類

ちょっと時間もなくなったので、手短に昨日一日のことを書きます。
1. 大森八幡神社氏子総代総勢15名による、来る元旦の初詣の受け入れ準備の作業

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午前8時集合。テキパキとこなし11時までには終えて一旦解散し、12時に送迎のマイクロバスに乗せられて、約15分離れた「YMCAコンフォレスト湯来」で忘年会

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2. 大盛会の内に3時過ぎには散会し、その内何人かは大森八番のすぐ目の前にあるカラオケ屋へと。私は最初にカタチだけ顔を出してから、さっさと帰宅して少し休んでから、今宵のライヴ会場である井口台のTOYへ

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3. TOYでも再び大盛会、わずか1,000円の入場料(しかもワンドリンク付)で、たくさんのユニットが熱演し、最後には河内バンドに安塚かのんちゃんも合流しました。

主催者の河内しんごさんに、前回お約束した「Coming Home Baby」の楽譜をお渡しして、次回にでもジャズ・フルートの益本有紀さんに演奏していただくことになりました。その「次回」…ひょっとして、我が大森八幡の神楽殿になる可能性も・・・。20時頃に終わって、まっすぐに帰宅、そく布団にもぐりこみました。

ざっと以上です。

2015年12月27日 11:42:55 カテゴリ: 未分類

今朝の8時に集合して、初詣の受け入れ態勢の準備として、境内の草刈りやら、社務所や拝殿の大掃除やら、当日の人員配置の割り振りやら・・・だと思います。
お昼までにそれら全てを済ませてから、水内にあるYMCA水内山荘(今は名前がカタカナに変わってる・・・カムファタブルYMCAとか、地元の人々にとって舌を噛みそうな・・・)で、ささやかな(?)忘年会。

昨夜は、午後から安塚家(廿日市市)でのホームパーティ(一日遅れのクリスマス・パーティ?)に参加して、なぜかボク一人だけ遅くまで残り、ついでに泊めていただくことになり、ついさきほどやっと帰庵したとこです。

眠い目をこすりながらの共同作業、はてどうなりますやら・・・。(以上、午前7時半ころ)

* * *

ついさきほど、大森八幡の「元旦参拝受け入れ準備作業」から戻って参りました。

ボクの割り当ては、
(1) 大晦日2230~元旦02時
(ちょっと帰って仮眠とってから)
(2) 元旦08時~12時(その内、11~12時は「元旦祭」の神事、総代のみ参加)
の2回のご奉仕になります。

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社務所でお守りやお札を販売したり、参拝客にお神酒をふるまったりしておりますので、たまには、敷地面積が広島県でも5本の指に入る(?)とかいう大森八幡神社(湯来町・伏谷)に足を延ばして初詣してみようか、あるいは、あのヒゲしげ爺が社務所に詰めてる姿を見物してみようか・・・という方は、ぜひ我らが大森八幡へ詣でて下さい・・・と、ちゃっかり宣伝させていただきます。

元旦、当地の天気予報は「晴れ時々曇り、おだやか」とのことです。

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