さごたに通信

2015年11月7日 04:24:15 カテゴリ: 未分類

例によって、冒頭に、Facebookに書いたことをそのまま引用します。

(引用ここから)→
2日半前の厳島神社での余韻と興奮が、まだ持続しています。
しかし、今日(土曜)の夕方から今夜にかけてまたもやカクジツに興奮の坩堝(ルツボ)となりそうなイベントに参加する予定なので(しかも泊りがけ!)、今の内に書いておかないと・・・ということで、書きます。
題して「講演:厳島神社の年中行事について」
昨日の記事では、もっぱら厳かな大麻頒布の祭事と、そのあとの直会について、少々酔っ払い気分を引きずったノリで書いてしまいましたが、4日のイベントの中心は、むしろそれらに挟まれたおよそ1時間にわたる「研修=講演会」にあったのです。
→以下は、例によって「ヒゲしげ爺の・・・」
http://www.shigejee.jp/blog
に続けます。
写真の、「まな板」にも見えるフシギな台についても解説致します。
←(引用ここまで)

・・・とは申せ、このマジメな話題も、やはり「すっかり酔っ払ぉてしもぉて・・・」から始めることになります。実は講演会の席で配布された貴重な資料一式が入った「厳島神社」と銘の入った貴重な封筒を、「すっかり酔っ払ぉてしもぉて・・・」宴会場に忘れて帰ってしまったのです! 講演の記述の正確を図るには、どうしてもその資料と、私の(まだシラフの内にとった)克明なメモ書きが必要なのに。

昨日の昼、宴会場の「宮島・錦水館」に電話してみましたら「見当たらないようです」との、つれない返事。それで思い切って、いただいていた名刺を伝に厳島神社の若い禰宜さん(男性)に直接お電話して相談したところ、「いいですよ、ここに残っている資料を郵送いたしましょう。ただし神職用のものなので、おととい配布したものよりはかなり詳細に亘りますが」と、いとも簡単に快諾して下さった。「神職用の詳細版」とは、願ったりかなったり…いやあ、忘れ物はしてみるモンですな(笑) もっとも、「克明なメモ」の方はあきらめざるを得ませんが。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

公演中に紹介された火を使った壮大な神事のひとコマ。詳細な説明は、資料が送られてきてから改めまして。

公演中に紹介された火を使った壮大な神事のひとコマ。詳細な説明は、資料が送られてきてから改めまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講演を拝聴する前、この演目から想像されたのは、実に地味な内容でした。6月の廿日市での「研修会」では、広島護国神社の宮司さんが、ずいぶんと勇ましい、いわば「今こそ国家神道の復活を!」と、まるで右翼の街宣車みたいなお話をされ、ずいぶん驚きもし、またかなりの方々が内心反発もされたのだが、この「年中行事」は、その対極にある「当たり障りのない」内容だな・・・と。

さて、拝聴してみますると・・・。

確かに政治的なことはまったく無かったし、ましてや「国家神道の復活を!」の気配さえ伺えなかったのだが、決して事前に予想したようなものではなく、厳島神社について、この自分が、如何にこれまでほぼ何も知らないできたか・・・と、まざまざと思い知らされる内容でした。

もっとも・・・講演に先立っての、主催者「広島県神社庁・佐伯大竹支部」の支部長からのご挨拶では、予め配布されていた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(共同代表 桜井よし子他2名)のチラシ(署名用紙付)について、各総代は署名を集めるように・・・との「強い要望」が発せられたりはしましたが(写真)。

(続く)

直会の会場で配布された「憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク」のチラシ (https://kenpou1000.org/より)

直会の会場で配布された「憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク」のチラシ (https://kenpou1000.org/より)

チラシの裏には署名用紙が

チラシの裏には署名用紙が

2015年11月6日 01:37:51 カテゴリ: 未分類

「まあ、そのスルドイ視線は、どうでもいいや、あとでなんとかなるサ・・・」
宴が盛りとなるにつれ、周囲から、またはお銚子を持って歩き回る厳島神社の若い禰宜さんたち(こちらは、全員男性)から、次から次へと酒を注がれるうちに、平素は小心者の私も次第に大胆になってきて、だんだんそんな気分になっていくから、酒というものはつくづくコワイものである。ある意味、大麻(マリファナの方)よりも怖いかもしれない。もちろん、私はそっちの大麻は見たことさえありませんが(阿蘭陀に旅行した日本人は、よく誘惑されるそうだ…と、かつて私の部下だった阿蘭陀人の若いニィちゃんが教えてくれました)

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

講演「厳島神社の年中行事」で各席を巡回して披露された「春日台」他所では使う三方の代わりに、ここではこれを使うのだとか。一見、おすしを乗せて出て来る台のような・・・。

そんな中にも、必要なマジメな話はちゃんとしており、例えば、今進めている「八王神社」の来歴について、どの宮司さんに相談したらいいか・・・という情報の収集にもあたりました。ついに、最も相応しい情報をお持ちの宮司さんの名前に行き当たったのですが、あいにく今日はご欠席とのこと、後日改めて神社をお訪ねすることとなりました。
更に・・・厳島神社の若い禰宜さんを捕まえてかなり唐突に「昨今の神社庁は、戦前の国家神道の臭いを次第に復活させつつあるように感じるけど、どう思う?」と突っ込んでみたり(あいにく、それへの禰宜さんからの回答は「立場をわきまえた、当たり障りのない」もので、かなりガッカリでした。

宴たけなわ、いよいよこれから・・・という頃になって、突然「おい、いぬるで(帰るぞ)!」という大声がかかった。かなり離れたところに集まっていた、わが大森八幡の総代仲間の二人が、飛び離れたボクの席まで「迎えに来た」のである。「そぉやって、べっぴんさんといつまでもイチャイチャしよっつらぁ、おいてぬるで!」(イチャイチャしてたら、置いて帰るぞ!)と。やはり、案の定というか、最初から感じていた「冷たくスルドイ視線」は、最後まで持続してたのだった!しかも、先方さんも、かなりご酒を召していらっしゃるご様子。

事実は・・・くだんの若い女性禰宜さんたちとは、最初の挨拶以後はほとんど話をしておらず、もっぱら厳島神社の若い(男性)禰宜さんたちを相手にしていたのだけど、そう反論して治まる状況にない。「先入観」とは、けだし恐ろしいものである。

ある神社の禰宜さんは、めずらしく若い女性であった。

ある神社の禰宜さんは、めずらしく若い女性であった。

やっとなんとか「許されて」7名一緒に船着場から乗船し、宮島口まで出迎えて下さっていた我らの運転手さんに導かれて、一路我らの根城である大森八幡を目指したのであった。

50分足らずで到着、すぐ向かいにあるファミレス「団栗亭」で、改めて〆の会をやり、やっと解散したのは、すでに17時近くであった。
(完)

大森八幡の向かいにあるファミレス「団栗亭」こんなモノが並べてある。

大森八幡の向かいにあるファミレス「団栗亭」に、こんなモノが並べてある。

2015年11月5日 01:30:22 カテゴリ: 未分類

FBを経由しないで、ここにたどり着かれた方々へ:「その6」とあるのは、すでにFBの方で(1)~(5)までを連載しているからです。なお、最初の2段落 ↓ は、すでにFBの方に書いたものの繰り返しです.

*  *  *
総代7名+運転手で午前7時に大森八幡神社駐車場を出発、一路、厳島神社を目指しました。
当初、私個人が予想していた光景は、6月10日の廿日市での「研修会」とほぼ同様のもので、講演を拝聴したあと各神社に分かれての直会(なおらい=神社儀式関連の宴会のこと)で世間話をぺちゃくちゃと・・・というものでした。

われら田舎者、なんと1時間も早く着いてしまい、のんびりと見物しながらゆるゆると神社へ。後姿が、わが大森総代仲間の内の数名です

われら田舎者、なんと1時間も早く着いてしまい、のんびりと見物しながらゆるゆると神社へ。後姿が、わが大森総代仲間の内の数名です

ところが、今日のは全くそれとは違う展開になりました。それは、すでに予告編的に昨日「実況」した記事と添付した添付写真から、ある程度お気づきのこととは思いますが、これからその「予想をはるかに超えた展開」について書き始めます。
*  *  *
まず「大麻」という単語で、多くの一般の方はドキッとなさったかもしれません。「予想を越えた展開」とは、「神社から特別に配られた「大麻」を直会で吸引して、みんなでトリップしてしまった」などということでは、モチロンありません。「神社大麻」と称して、まあ一般的な呼び方では「お札」のことです。神宮(伊勢神宮のことを、正式には単に「神宮」と呼びます)から、年に一度、新年を控えたこの時期に各県の神社庁を通じて全国の末端神社毎に配布するものです。その配布量を各神社で競わせて、その結果として「信者数」(とは言ってないみたいですが)と、ついでに各県の神社庁への収入を増やそう…と、こういう趣旨であります。ちなみに、あとで伺ったことですが、この大麻を数える単位は「体(たい)」とのことでした。「ご神体」というニュアンスなのでしょうね。

式次第、これ公開していいのかなぁ~

式次第、これ公開していいのかなぁ~

そのための荘厳な儀式が、およそ1時間にわたって執り行われます。場所は、かの世界遺産・国宝・厳島神社本殿です。
予めしつらえられた屋外のテントの待機所に着席し、そこから、開始時刻の10分前には神職によって本殿へと誘導され、そこに整列したのはざっと百数十名。雅楽の生演奏とともに、厳かに開式です。

しかし、そこは国の内外から年間数百万人が訪れる「安芸の宮島」の最も核心的スポット、居並ぶ我々総代百数十名のすぐ背後では、参拝客たちのざわめく音声が、数ヶ国語で・・・さらにはお賽銭のチャリーンという音、ちょっと落ち着かない雰囲気ではありました。
平素、他の神社では決してみられない、いわばここ厳島神社ならではの特異な形式にもいくつか気付きました。その詳細はいつか稿を改めて書いてみたい気も致すほどであります。祭主のキビキビとした所作、着座して素早くクルリと180度向きを変えること、そしてなんと4名もの美しい巫女さんによる華麗で洗練された巫女舞・・・などなど。

なお、この巫女舞の最中、後ろの方がなんかザワザワするので、振り向いてみると、なんと賽銭箱の向こうに無慮数百人の人だかりが!つまり、この荘厳な儀式にあやかっている一般参拝客の面々である。カメラを向けているのやら、中には三脚を立ててビデオカメラを回しているのやら。その人だかりは遠く海面に突き出している能舞台にまで延びているように、私には見えた。

DSC_8457

1時間ほどで儀式は滞りなく終り、最後に巨大な金色の「御幣」で一人ひとりの頭を撫でていただいてから、本日の第2のプログラムである研修のために、少し歩いた先にある老舗旅館「錦水館」へ。

DSC_8461

一泊一人最低2万はするであろうこの錦水館、船着場から厳島神社へ向かうメインストリートに面しており、普段は前を通り過ぎるだけなのだが、今日は晴れて堂々と中に入り、地下の大広間へ。

そこで、最初の些細な椿事が。

出身の神社別に固まりになって着席、そのまま「プログラムその3」の直会へと進むのであるが、いったん着席していた私を、大森神社を兼務されている山田宮司(五日市・河内神社)がわざわざ呼びに来られて、着座したのは、集団からかなり離れたえらく上の席。向かいと右手側はまだ空席となっているものの、両方共に「○○神社禰宜」と記した紙が張り付けてある。右手斜め前に既に着座なさっている若手宮司さんのところには、「観音神社宮司」とある。観音神社宮司といえば、おととい例の「八王神社の来歴記」のことでご相談に上がったばかりの方であるはずなのだが、そこに着座なさっているのは、宮司よりも遥かにお若い(当初40才前後ととお見受けした)神職の方ではありませんか!

ご挨拶すると、なんと一昨日の「宮司」さんの跡継ぎ息子さんで、その正面(つまり、私の右手側隣)に着座なさる予定の方はその奥様、つまり観音神社の禰宜さんというわけである。ご存知かとは思いますが、神社でのランクは「宮司ー禰宜ー権禰宜(ごんねぎ)ー巫女」の順であり、伺いますと父上はご宝齢すでに80歳、「名誉宮司」というさらに高位に昇られているのだとか。

それで早速、一昨日の「名誉宮司」ご訪問の件をお話すると、「ああ、あなたでしたか、あれを書かれた方は!なかなか立派なことを、よくぞなさって下さいました。今草稿が父から私の手元に託されておりまして、慎重にチェックさせていただいておるところでございます」と、いかにも若い宮司らしい、威厳の中にも親しみを込めた口調で、丁重にお話くださいました。

ほどなく、なんとお若い奥様の禰宜さん、次いで私の正面には別の神社の禰宜さんも着座なさったのだけど、この方がまた若くてお美しい女性禰宜さんで、お父君は大竹の神社の宮司さんで現在の「佐伯・大竹地区支部長さんとか!

観音神社の若き宮司さんから「若い女性二人に囲まれて、いい席でよかったですねぇ~」とからかわれてしまう始末。「よかったですねぇ~」はいいのだけど、その直後に感じたのは、少し離れたところにグループで座っているわが同士6名からの冷たくスルドイ視線であった。

(続く)

 

 

2015年11月4日 03:47:48 カテゴリ: 未分類

(1)グランドピアノの購入を「ほぼ」決めてしまいました

(生徒さんたちへ。「東奔西走」は立派な熟語ですが、「南疾北駆」は、ボクの造語だからね、テストに書いちゃダメだよ。「東西南北に、大急ぎで駆けずり回る」という意味です)

かねてより妙先生から、「光本さん、ある程度上達されたんだから、今の電子ピアノからアコースティックに替えたら?できれば最初からグランドを・・・」と熱心にお勧めいただいていたのに対して、「いえいえ、グランドなんぞ・・・まあ、アップライトなら車のローンを払い終わったら考えてもいいです」と答え続けていたのですが、そのローンをやっと先日完済した2日(月)のこと、まあ、見るだけでも・・・と、先生の調律師さんのご紹介で、アストラムライン大町駅の近くにあるピアノプラザ広島店を訪ねました。
若い店長さんの、熱心でありながら自然体なご説明に魅了され、店長イチオシという中古のグランドの購入を、ほぼ決めてしまいました。もちろん、決めるに当たっては、私が敬愛してやまない妙先生に電話でご相談し(店長自ら、電話に向かって演奏して下さいました!)、ついでに、やはり同様に敬愛申し上げているといっても必ずしも言いすぎではない・・・という言い方も、まあ可能である、やはりプロのピアニストYさんにも電話しました。

「ほぼ」と保留的表現にしたのは、まだ「支払い条件」を決めてないからです。これは、昨年8月に愛車コペンの購入を契約するに当たって、私が独自に作成したソフトで慎重にシミュレーションした上で、さらに支払い開始期日なども交渉した上で決めることになっています。それに・・・シミュレーションに費やす数日間を「クーリング」の期間にも充てて。
生まれて初のグランド・ピアノが、わがオンボロ草庵に「嫁いで来る」日をやや興奮気味に夢見つつ、しかも一方で、これから数年間払い続けることになる、かなりの月額のローンのことも大いに気になりつつ・・・この数日間、寝不足が続きそうです。

お訪ねしてピアノ・プラザのサイトから。わたしが「ほぼ決めた」一台かどうかは、定かではありません。

お訪ねした「ピアノ・プラザ広島」のサイトから。私が「ほぼ決めた」一台かどうかは、定かではありません。

2015年11月2日 02:54:05 カテゴリ: 未分類

先日恐羅漢への登山路で偶然に出会った「広島山陵会」会長の廣田さんからのお誘いを受けて、今日の登山道(実際にはトレッキング・ルート)整備への参加を約束した。ところが、あとで予定をチェックすると、この日はかつての塾での教え子達がたくさん入学している、広島女学院中・高の文化祭の日なのであった!
どちらも行きたいしなぁ…と数日間悶々としたあげく「えいっ、両立させたろじゃないか!」と決めたのはおとといのことであった。
当初は、「先に女学院、そのあとで恐羅漢へ」と考え、廣田会長にもそのようにお伝えしていたのだが、前夜の天気予報で、「晴れのち雨」と変わったので、それを逆にした。
早朝7時に出発、先日恐羅漢に行ったときと同じく内黒峠越えルート約46キロを80分間で到着。集合時刻よりかなり早く着いたのにもかかわらず、すでにスキー場の広い駐車場は老若男女の参加者であふれていた。(もっとも「若」と「女」の組み合わせはほぼゼロではありましたが・・・笑)

恐羅漢スキー場の広大な駐車場には、今日の整備作業に参加する人たちが大勢

恐羅漢スキー場の広大な駐車場には、今日の整備作業に参加する人たちが大勢

大型草刈り機、チェンソー、山鍬にスペアタイアまで、まさにフル装備を満載したオンボロ四駆「とらにぃ」

大型草刈り機、チェンソー、山鍬にスペアタイアまで、まさにフル装備を満載したわがオンボロ四駆「とらにぃ」

 

 

 

 

 

 

 

まもなく、山陵会が所有するという山小屋から廣田会長が現れ、手短で要領のいいご挨拶のあと、2班に分かれてそれぞれの車で作業現場へと向かう。私自身は、「早抜け」ということもあってか、どちらの班にも属さず、会長と二人だけで行動させていただくことに。他の班とは反対側の横川(よこごう、名勝・三段峡の一番奥の、さらに奥です)にかつてあった分校の跡地に向かう。途中、その山陵会の小屋にわざわざ立ち寄ってご案内下さいました。そこでは、昨夜の内から何人かの幹部(?)がお泊りになっていて、そこで酒宴と自然発生的なコンサートが行われたんだと!

昨夜のその時刻と言えば、ちょうとボクは本通りの「一楽章 f 未完成」にてゆーこりんと中矢さん親子によるコンサートを聴いていた頃であった。「次回は、ぜひとも前夜から出て酒宴もコンサートも参加したいので、お招きください。」とお願いすると、「ぜひぜひ!じゃあ、年に1回しかやってないのを春秋の2回に増やすかなぁ~」と、もう一人の気のよさそうなオジサンと一緒に答えてくださった。そのオジサンから「何か楽器ができますか?」と尋ねられたので、ためらいがちに「横笛なら少々・・・」と答えておいた。「横笛かあ、ええですのぉ~! じゃ、山の歌は知っとって?」に対しては「得意中の得意です」とも。

会長さんの車に随行すること約10分で、めざす横川(よこごう)小学校の分校跡地に着く。二人とも草刈り機を取り出して、登り口の草刈りを始めるが、すでにかなり整備は進んでいて、草刈り機は一台で十分ということになり、私は一旦車に戻って草刈り機を置き、かわりに山鍬(やまぐわ、登山道の整備など、かなりハードな作業に適した頑丈な鍬)をかつぎ、ついでにノコギリとノコギリ鎌を腰に装着して現場に戻る。どこまで行っても既に整備はかなり進んでいて傾斜もゆるやかな快適な山道を、めざす「ヨビヤ峠」に向かう。尚、ヨビヤという珍しい名称は、その昔この峠にある岩で峠の両側からお互いに呼び交わして、「呼び岩」と言われ、それが変化してヨビヤとなった・・・と、最初の挨拶のときに地元の山荘経営者の方(かつて国体のスキー競技でならしたとか…)がご説明になっていました)この田代集落(今は廃集落に)から分校への峠道は、かつて田代集落の子供達が、片道1時間半かけて通った、分校への通学路だったとか!

峠までおよそ30分の道を歩き、到着するや廣田会長、「お~い!」と、かなりの美声で呼ばれると、遥かかなたから、「お~い」と、女性の声が返ってきた。そして、私も加わって何度も、それこそ「呼び交わして」いるうちに、その返事はだんだん近づいて、ついに峠での合流となった。10人くらいのグループ。ここで、せっかく合流した皆さんともっと時を共有し、作業も手伝い気持ちはいやが上にも増したが、女学院で「○○先生」(ボクの塾でのニックネーム)を待ってくれているだろう(?)かわいい教え子達の顔が浮かび、ここで思い切って離脱し、ただ一人来た道を降りて分校跡へと向かったのであった。

別れ際に廣田会長が、ボクのスマホカメラで写してくださった記念撮影の一枚である。

(前編ここまで。後編に続く)

 広島山陵会の皆さんと一緒に、恐羅漢から程近い「ヨビヤ峠」越えのトレッキング道の整備作業に参加。途中で抜ける僕を囲んで記念写真を撮って下さる心優しい山男、山ガール(「元ガール」を含む)の皆様(撮影:広島山陵会会長 廣田さん)

広島山陵会の皆さんと一緒に、恐羅漢から程近い「ヨビヤ峠」越えのトレッキング道の整備作業に参加。途中で抜ける僕を囲んで記念写真を撮って下さる心優しい山男、山ガール(「昔ガール」を含む)の皆様(撮影:広島山陵会会長 廣田さん)