さごたに通信

2014年10月9日 04:50:00 カテゴリ: 未分類

マコトさん以下、総勢8名全員が拝殿に上がり、それから付き人ヒゲシゲが厳かに神殿の鍵を開けると、上段の高みに三双の扉が見えた。普段は一般の目に触れることのないこの三扉(さんぴ)、本日は氏子世話人・久保峰夫氏(ひげしげの、最も初期からの=おそらく物心ついてすぐの2,3歳からの=幼馴染。現在、働き者の奥様、イケメンのご次男と、彼の愛くるしい若妻を率いて中規模酪農を営み、マコトさんと共に「砂谷牛乳」の主要な担い手)から予め特別の許可をいただいていて「最長老のマコトさん自らの手でなら・・・」ということで、いよいよご開帳である。「ご神体の撮影は禁止ですので・・・」と、付き人から予め皆さんに、峰夫さんからの言明をお伝えしていたことは、申すまでもない。

静々(しずしず)と三つの秘せられた扉を厳かに開けてご神体の開帳を遂げたマコトさん、心静かに拝殿まで下ってから、皆に「ではご参拝を・・・」と促し、付き人の音頭で「二礼二拍手一礼」。

八王神社の拝殿にて

その「ご神体」の内容とは・・・これは、やはりここに記すのは憚られます。

ただ一点申し上げるならば、中に立てかけられていた木の標札(? もちろん写真は撮ってありませぬ)が気になりましたね。うっすらと文字は見えるよな見えぬよな・・・。

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まち歩きを終えて・・・マコトさんに語りかける映画監督のYさんと女優のMさん

 

 

 

まあ、こうやって神前に厳かに頭(こうべ)を垂れていただいたあとは、この神社にまつわる言い伝えやら、史実と思われることやら、はたまたご祭神の「八王」とは・・となり、話は自然にこの伏谷郷集落の水路の開鑿と、それによる水田の始まりに及んだ。マコトさんの弁舌、いよいよ滑らかに・・・それに付添い人ヒゲシゲが、ときどき合いの手やら、単なるチャチャやら・・・。

15分ばかりの滞在・参拝のあとは、全く打ち合わせのしてないアドリブの旅。やつぅさんでのトークの流れから、(それにチラシにも書いたことだし)その8人兄弟が力を合わせて敷設したとい水路の見物に。付添い人がシャシャリ出て、このほとんどフラットな(標高差の小さい)道路に沿った水路を敷設することの困難さについて、やれ当時の技術で水平はどうやって出したんかとかについての工学的解説を試みるやら、マコトさんはマコトさんで、「当時、暗くなるのを待って松明を水路予定地に沿って大量に焚き、それを向かいの阿弥陀山の中腹から見下ろしてコースを決めた・・・という逸話やらに参加者の皆さんからの質問も出たりして、この「まち歩きでの水路談義」けっこう花が咲いたのでありました。

さらに「むくろじ水」なる、まるで沙漠の涸川(ワジ)のごときフシギな自然水路を見たりして、帰りは往路の「かつての、草薮の通学路」ではなく、現代の舗装された車道を歩いて、再び集合場所の大森八幡に戻った。

駐車場についてからも、マコトさんを囲む輪は、なかなか解けることなく(特に女優さんとマコトさんの会話に、文字通り「華が咲き」、ここで付き人が気を利かせて、すぐ近くの「団栗亭」でお茶しよってこととなった。お急ぎのおひと方を除いてぞろぞろと移動。

ここでも、マコトさんの前に彼女が座ってくださって、を引き続き雄弁に耳を傾けていただき、コーヒー片手のアフター・トーク大いに盛り上がって、早くも5時に。

まるで、この「まち歩きその(3)」の残り香を惜しむように、7名それぞれに帰途に就いたのでありました。

(完)

 

 

 

 

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