さごたに通信

2014年11月10日 00:55:31 カテゴリ: 未分類

今月下旬から、いよいよ我が師匠となっていただくことになった吉野妙先生(そう、「先生」です!)が共演なさるタンゴのデュオ「ロス・チフラードス」のコンサートが、妙先生の本拠地「スペース蘂(しべ)」で、午後2時から行われることが気になりつつも、止むに止まれぬ気持ちで、8月の土砂災害の被災地である安佐南区に出発した。
支援ボランティアの受け入れが、そろそろ終るかもしれない、ひょっとしたら、この週末が最後かも…というウワサを聞いていたからである。それに、「そのついでに、この週末の連続講演会も宣伝して来ようか…」という、少々不純な(?)動機があったことも確かである。
本業が百姓なもんで、必要な道具はそろっている。被災直後の8月終わりから2,3度「被災地」に入っており、そのたびにそれらの道具を駆使して活動している…とは言いがたいが。
スコップにノコギリ、鎌、それに小型チェンソーから燃料まで積載した愛車WagonRを走らせること約50分、まずはボランティアの受付となっており、おととい(金曜日)に安佐北区役所で教えていただいていた安佐南区総合福祉センターに到着。

全く人気(ひとけ)がない。たしか0830から受付のはずで、既に10時近い。さては遅過ぎて、皆現場に出かけてしまったのか…と、恐る恐る守衛室で訊ねると、その返答に言葉を失う。
「昨日で閉鎖しました」 なんと一日遅れ・・・嗚呼!
やむなく、紹介されたすぐ近くの安佐南区役所4階にある「災害対策本部」を訪ねると、そこには職員の方が数人おられ、ていねいに対応してくださった。
「そのとおり、ボランティアの受け入れは昨日で終りました。それに、ここではボランティアの受付はしておりません。」
「避難所も全て閉鎖したのでしょうか…以前、梅林小学校に通っていたのですが…」
「梅林は閉鎖しましたが、まだ2箇所は開いてます」と、紹介された「佐東公民館」に移動する。

災害対策本部は日曜日でも動いていた

災害対策本部は日曜日でも動いていた

そこでも、やはり同様のことを言われた。このまま何もせずに帰るのも…と、あえて訊ねると、すぐ近くの「緑井霊園」という墓地の復旧作業にまだ何人か作業に入っているから…と、誰かに電話してくださった。しかし応答がない。しかし、とりあえずそちらに行ってみることにした。ついでに、「避難されている方や、お世話をなさっている職員の方がご興味あれば…」と、ポスターを置いて立ち去ろうとすると、受付の奥から出てきた職員の方が、ちらと一瞥されて、「あ、教育委員会の後援と書いてありますね。でも(申請中)ですか…申請はいつ降りますか?」「週明け早々には、たぶん…」と、一昨日(金)に担当の方から告げられたことをそのまま伝えると「じゃ、降りたら電話下さい。そしたら掲示します。」

安佐南区・佐東公民館。この日までまだ閉鎖されていなかった避難所2箇所のひとつ

安佐南区・佐東公民館。この日までまだ閉鎖されていなかった避難所2箇所のひとつ

緑井霊園の惨状は目を覆うものであった。8月終わりに訪れた梅林小学校上の住宅地の惨状もすさまじいものがあったが、ここは「墓地」であるだけに、凄惨さが尚更迫ってくる。それに、まるで当然かのように、ほとんど手がつけられてない。
ボランティアの姿はどこにも見えず、ただ大型の重機がうなりをあげている。入り口付近に中年の男性二人が墓の前に佇み、「はらそうぎゃてい・ぼじそわか…」と般若信経を誦しておられる。そして、すぐ脇の掲示板には「ボランティアの皆様、長い間のご協力感謝します、ボランティアの受け入れは明日で終了します」と張り出してあった。

DSC_3631

コンサートの開始時刻、その前に立ち寄るべき「佐伯区民祭り」の滞在時間を計算して、その場を出発、山陽道を飛ばして一路五日市へ・・・結局手作業はなんにもしなかった。したのは、あちこちの訪問、見物、それにポスター1枚を「預けてきた」だけだ・・・という忸怩たる思いを載せて。

(続く)

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