さごたに通信

2015年11月1日 05:18:28 カテゴリ: 未分類

昨日16時過ぎ、我が庵のすぐ近くに鎮座坐します氏神様「八王(やつおう)神社」の祭祀(秋祭の神事)を掛け持ちでご担当いただいている、五日市観音神社の宮司・川口亮二さまをお訪ねし、前夜約2時間をかけて下書きした「八王神社の由来記」を見ていただきました。

「八王神社由来記」原稿(未だ非公開)

「八王神社由来記」原稿(未だ非公開)

色々と貴重なご意見を下さり、さらにそこに書き連ねた八柱の神様のお名前をひとつひとつチェックしていただき、多くを学ぶことができました。さらに、これまで歴代の担当(掛け持ち)宮司さんを何名かご紹介くださり、ぜひ訪ねてお話を伺ったり、(故人の場合はご親族から)残された資料を見せてもらって来るように…というご助言もいただきました。

原稿を書くきっかけとなった「大森高原物語」(藤井芳金翁、昭和58年)

原稿を書くきっかけとなった「大森高原物語」(藤井芳金翁、昭和58年)

一連の他のスケジュールが一段落したら早速行動を開始して、この「下書き」をさらにリファインし、11・23の秋祭り神事およびそれに続く、氏子による宮司さんと随伴される巫女さんとを囲むナオライでのお披露目・・・の段取りで進める予定です。

約1時間半の会談(宮司からのご指導)を終えて観音神社をあとにし、JR→アストラムと乗り継いで、今夜の「秋の名曲コンサート」(ピアノ:ゆーこりん、フルート:中矢九喜子、ゆめ)会場「一楽章F未完成」に向かいました。

別れ際に宮司さんが「ところで・・・」という感じで、ある錆びた鉄兜をお見せくださいました。なんでも弘安の役(西暦1281)で攻め込んだ蒙古軍の兵士がかぶっていたであろう鉄兜が、下関海峡の海底から引き上げられ、縁あってこの神社にやってきたものだとか。近々大学の専門の先生に鑑定を依頼しようか・・・とのお話でした。

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